三国志 第1巻 著者名:宮城谷昌光(著)
出版社:文藝春秋
出版年:2008.10
ISBN :9784167259211
宮城谷氏の中国歴史小説はあらかた読破している。特に中国古代王朝(夏・商=殷)を扱った初期の小説群『天空の舟』『沈黙の王』『王家の風日』には、こんな豊穣な世界があったのかと感激した。『孟夏の太陽』『重耳』もお気に入りである。
だが、近年の作品は、いささか退屈というのが正直なところ。
・内容
建武元年(西暦25年)に始まる後漢王朝では、幼帝が続き、宮中は皇太后の外戚と宦官の勢力争いに明け暮れていた。正義の声は圧殺され、異民族の侵入が頻発し、地震や天候不順が続く。六代目の帝に皇子が生まれた時、守り役に一人の幼い宦官がついた。その名は曹騰。後に八代目順帝の右腕となった彼こそ、曹操の祖父である。
(「BOOK」データベースより)
さて、宮城谷三国志の第一巻。曹操も劉備も孫権も出てこない。導入部としての後漢王朝の歴史が語られるのみである。
宮城谷氏の作品の特徴は、登場人物・事象(エピソード)の背景、さらには言葉(字義)の背景まで丁寧に解説してくれること。一種の教養小説である。ただ、それゆえに展開が遅い。
ダイナミックな北方三国志とは対極である。人間の生き様を語るという点では共通するのだが・・・。
いまひとつの特徴としては、とにかく使う言葉や漢字が難しい。“白川静は涵蓄淵邃(かんちくえんすい)の人である。”と書かれても浅学非才の身にはほぼ意味不明である・・・トホホ。
何というか、近年の宮城谷作品は、物語というより評伝や学術論文(とはオーバーだが)を読んでいるような気になることがある。初期の作品の方が物語と教養のバランスが良かったような・・・。
ただ、読んでいると、こんな度量のある人達が古い時代にもいたのだ・・・という事実(?)に励まされもする。
“天を怨まず、人を尤(とが)めず、下学(かがく)して上達す。我を知る者はそれ天か。”
優れた人材であるがゆえに、悪逆非道の宰相により、盗賊が跋扈する乱れた州にばかり赴任させられる李固が呟く言葉である。下学とは、身近なものから学ぶという意味だそうだ。“李固にとって、中央で政治をおこなうのではなく、地方に出て行政にたずざわること”が「下学」である。“治めるのにむずかしいところの行政長官”に任命されることを天命と捉え、“けっきょく自分が何をおこない、どう生きたかを知ってくれるのは天しかない。”と、真っ直ぐに自らの力を発揮していくのである。
仕事をするって、こうありたいものだ。
・・・ま、難しいんだけど(泣)。
続いて『三国志 第二巻』。


自分もこの三国志、ハードカバーで読んでいるんですけれど、どうしても乗り切れなくて読み返し中です。
第2巻を読み終わりました。
第1巻よりはマシですけど、もう少し物語性というものに心を砕いてほしいですね。