2006年12月30日

アヒルと鴨のコインロッカー


アヒルと鴨のコインロッカー
著者名:伊坂幸太郎(著)
出版社:東京創元社
出版年:2006.12
ISBN :4488464017


 う〜ん。上手いなぁ。伊坂幸太郎!


 仙台の大学に進学が決まり、アパートへ引っ越してきたばかりの椎名、同じアパートに住む悪魔めいたルックス(←あくまで椎名の印象として)の青年・河崎の2人が中心の「現在編」。

 河崎、そのモトカノ・琴美、琴美の彼氏でブータンからの留学生・ドルジの3人が中心の「2年前編」。

 河崎が椎名を「一緒に本屋を襲わないか」と誘う現在編に始まり、2つの時間の物語が交互に描かれる。2つの物語は当然のことながらシンクロしているわけだが、その着地点がなかなか予想できない。

 河崎が本屋を襲う目的はなんと「広辞苑の強奪」(このあたり、村上春樹氏の短編『パン屋再襲撃』を連想させる)。その突拍子もない犯罪の裏には、もちろん真の目的があって、それが2年前の物語に起因していることが終盤にやっと分かるのだが。

 その終盤、ずっと感じていたかすかな違和感の正体が明らかになった時には、「えーーーーーーーーーーーーーーー!」となって、思わず頭からざっと読み直して、いろんな箇所を確認。

 ・・・そういうことだったのか・・・。また簡単に騙された(笑)。

 椎名、河崎、琴美、ドルジ、そして双方の物語に絡んでくるペットショップ・オーナーの真っ白な美女・麗子。個性的で生き生きしたキャラクターと軽妙な会話で楽しく読ませてくれるが、結末は重く、読後感は決して爽やかとは言えない。

 逆にそんな物語だからこそ、伊坂氏の軽ろやかな筆致に救われるのだが。

 「現在編」と「2年前編」の各章の初めと終わりが呼応しているのが楽しい。伊坂氏の他の作品とのちょっとしたリンクも楽しい。こういう「遊び」は好きだな。


 今は『水滸伝・三 輪舞の章』(北方謙三・著/集英社文庫)を読破中であるが、これから『のだめカンタービレ』の最初の3巻ぐらいを書店で買って、そのまま実家(大阪)に帰る。

 そんなわけで、当ブログの年内更新は今日が最後。新年にまたお目にかかるということで。

 皆様、よいお年を!
posted by ふくちゃん at 14:58| Comment(2) | TrackBack(4) | ミステリ

2006年12月25日

となり町戦争


となり町戦争
著者名:三崎亜記(著)
出版社:集英社
出版年:2006.12
ISBN :408746105X


 あ〜。

 『のだめカンタービレ』が終ってしまった・・・。ハッピーで笑えて、時に感動的なドラマだったなぁ。最終回の千秋とのだめの河川敷のシーンも良かったね。

 ・・・当ブログには関係ないが。


 さて、『となり町戦争』。第17回小説すばる新人賞受賞作である。


 ある日、主人公の僕・北原修路の住む舞坂町と、となり町の戦争が始まった。「地域振興」の名のもとに行われる「公共事業」としての戦争である。

 僕・北原はこの町で生まれたわけじゃない。通勤に便利だから、たまたま住んだに過ぎない。しかし、町役場から通知が来て、「戦時特別偵察業務従事者」に任命されてしまう。

 とは言っても、任務はマイカー通勤の行き帰りに見聞きしたとなり町の様子を郵送で報告するのみ。それ以外はいつもの日常が過ぎていく。

 ところが、しばらくして今度は「戦時拠点偵察業務従事者」として「となり町戦争推進室分室」勤務となる。早い話が、舞坂町「総務課となり町戦争係」の女性職員・香西さんと偽装結婚し、となり町に住みながら偵察を行う潜入スパイとなったのである。

 それでも戦争は目に見えない。

 しかし、日に日に戦死者は増えていく。

 そして、「分室」にもとなり町の査察が・・・。

 逃げなくては!


 ・・・ね。なかなか面白そうでしょ。

 ・・・だけどなぁ・・・。

 あかん、これは。

 今年の読んだ中でワースト3に入る不出来な作品。

 文章が良くない(自分のことは棚に上げる)。表現が上滑りしていて、深みがない。文法的におかしい所もあったりして、読み辛い。せっかくの面白い設定やヒトクセありそうな脇役達も、全く生かされていない。文学のマネゴトのような作品だ。

 もし、村上春樹氏が書いていたら、ユーモアと哀しみを湛えた独創的な文学作品になっていただろう。

 もし、伊坂幸太郎氏が書いていたら、愉快なエンターテインメント作品になっていただろう。

 こんな仮定の話をしても仕方がないが、もったいないなぁ。書きようによっては、もの凄く面白くなりそうなんだけど。

 最後に文庫本だけのボーナストラックとして「別章」というサイドストーリーが収録されているが、これはあらゆる意味で少しマシだった。この作品だけを『となり町戦争』という短編にしておく方が良かったと思う。

 映画化されるらしいので、そちらは面白く作ってもらいたい。観にいくかどうか分からんけど。


 そんなわけで久々に外したが、次に読む『アヒルと鴨とコインロッカー』(伊坂幸太郎・著/創元推理文庫)に期待。


 あ〜。

 『のだめ〜』のDVD、買おうかなぁ〜。原作は年末年始に読むぞ!
posted by ふくちゃん at 23:16| Comment(4) | TrackBack(6) | 純文学

2006年12月24日

ダウン・ツ・ヘヴン


ダウン・ツ・ヘヴン
著者名:森博嗣(著)
出版社:中央公論新社
出版年:2006.11
ISBN :4122047692


 『スカイ・クロラ』シリーズの3作目。一応SFに分類してみた。森博嗣は人気ミステリ作家だが、いわゆるミステリじゃない作品も多い。ま、このシリーズも謎が多いが・・・。


『スカイ・クロラ』
 死んだ(?)戦闘機パイロット・クリタ(♂)の代わりにとある基地に転属してきたカンナミ(主人公/♂)と、基地の責任者クサナギスイト(♀)の物語。この世界では、民間企業が国の委託を受けて戦争を代行している(らしい)。カンナミもクサナギも、その他の多くのパイロットも、遺伝子制御剤の開発過程で生まれた「キルドレ」=「永遠に子供のままの姿で生きる、寿命では死なない人間」である。

『ナ・バ・テア』
 『スカイ・クロラ』より時代は遡り、まだ一介のパイロットだったクサナギ(主人公)と、所属基地のエースパイロット・ティーチャ(←コードネーム/キルドレではない普通の人間の♂)の物語。クサナギはティーチャを尊敬し、彼の下でパイロットとして成長して行くが、やがてティーチャは敵の会社のパイロットとなる。

 ・・・これから読む人のために、シリーズを読み進めるほどに「!」となる箇所は伏せてみた。


 そして、本作『ダウン・ツ・ヘブン』であるが、これは『ナ・バ・テア』の続き。

 いまや会社を代表するトップ・エースとなったクサナギ。どうやら、本人は知らないが、国では偶像としても人気があるらしい。会社は戦力としても看板としても彼女を失うことの損失を考え、パイロットを辞めさせ、管理職に祭り上げようとするが・・・、

 なんと、『スカイ・クロラ』で初対面だったはずのカンナミが登場する。これは一体どういうことなのか?『スカイ・クロラ』ではミツヤ(♀)というパイロットが、カンナミに「クリタを殺したのはクサナギで、あなたは死んだクリタのパイロットとしての技術を移植して作られた(つまり兵器としての性能を受け継いだ)人間だ」という意味のことを言う場面があるが、これが真実なのか、ミツヤの妄想なのかは分からない、と描かれている。それに、なぜ『スカイ・クロラ』で2人が初対面だったのかも説明がつかない。

 クライマックスでは、ティーチャとの一機打ち。


 第4作(文庫化されたら読む)の『フラッタ ・ リンツ ・ ライフ』は、さらにこの続きで、クリタ(主人公)とクサナギの物語らしい。

 ちなみに、シリーズ各巻タイトルの英語表記は、

The Sky Crawlers
None But Air
Down to Heaven
Flutter into Life

で、カタカナ表記のタイトルは実際の英語の発音に近い。『ノウン・バット・エア』とか『フラッタ・イントゥー・ライフ』にしないところにセンスを感じる。

 センスを感じるといえば、このシリーズの魅力は、とにかくクールで不安定なところ。主要登場人物も、物語全体も。

 登場人物は当然ながら物語の中の現実を生きるわけだが、ただその世界を生きるだけで、外部から読んでいる我々読者に、その世界の現実の中の自明の理をわざわざ説明しない。簡単に言えば、専門的用語の解説も、背景説明のための背景説明もない。ある意味不親切な作品だが、そこが世界観を際立たせて、カッコいいんである。

 このシリーズ、2007年夏発行の5作目で完結する予定らしい。今、ある「?」にどんな結末がつくのか。多分、森氏のことだからストレートに全てを説明するのではなく、分かる人だけ分かって下さい的な、想像・推理の余地のある結末になりそうな気がする。


 只今は、『となり町戦争』(三崎亜記・著/集英社文庫)を読んでいる。
posted by ふくちゃん at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | SF

2006年12月21日

ひとつ、村上さんでやってみるか


「ひとつ、村上さんでやってみるか」
著者名:村上春樹(著)
     安西水丸(画)
出版社:朝日新聞社出版局
出版年:2006.11
ISBN :4022723300


 19日の投稿で、次は『ダウン・ツ・ヘヴン』を読むと書いて、事実今読んでいるのだが、先にこちらを読み終わったので記録。

 11月20日頃から、家でちょこちょこ読んでいた(『カラ兄1』の記事参照)。

 まあ、一気に読むようなタイプの本ではない。また、当ブログでは、一応エッセイにカテゴライズしたが、厳密には少し違う(と思う)。

 村上春樹氏の期間限定サイト「村上朝日堂」に寄せられた全国老若男女ハルキストからの質問メールと村上さんの返答メール(!)を1冊にまとめたもので、『そうだ、村上さんに聞いてみよう』(赤本)、『これだけは村上さんに言っておこう』(青本)に続く、読者との交流本第3弾である。

 読者からのメールは楽しく笑えるクダラナイ(←ホメてる)ものから、重たいものまで。村上さんの返事メールも軽妙洒脱なものから真剣なものまで。

 楽しい。

 でも、ハルキスト以外には楽しめないような気もする。

 でも、「村上春樹(の小説)なんて嫌いだ!」という人も、これ読むと好きになるかも、という気もする。

 僕も過去にメールを出したことがあるのだが、残念ながら返事は来なかった。まあ、返事がもらえる人の方が圧倒的に少ないはずだが。

 だけど、中にはこのシリーズを通じて数回返事をもらっている方もいて、とてもとてもとても(以下無限に繰り返し)・・・羨ましい! 
posted by ふくちゃん at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ

2006年12月19日

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道


散るぞ悲しき
著者名:梯久美子(著)
出版社:新潮社
出版年:2005.07
ISBN :4104774014


 この本は、話題の映画『硫黄島からの手紙』の主人公、栗林中将の実像に迫った1冊。全く凄い人がいたもんだ。


 栗林氏は智将であり、現実的かつ合理的、そして目的のためなら鬼にもなる人だった。

 硫黄島が米軍に占領されれば、日本本土が本格的な攻撃に晒されて壊滅的な打撃を受けることは明白。アメリカ留学経験があり、彼我の国力・戦力の差を冷徹に認識している栗林氏は、最終的には100%負けることを見通した上で、いかに長く持ちこたえるかを徹底的に考え、戦闘の準備を行った。水不足(硫黄島には水道も川も湖も、湧き水も井戸もなく、雨水だけ)と食糧難で疲労困憊の将兵を叱咤激励して、従来の日本軍の兵法を捨て地下要塞を作ったのだ。

 そして、日本軍伝統の「突撃」「玉砕」を禁じ、死よりも辛い生をギリギリまで生きることを将兵に課し、米軍の被害を少しでも大きくしようと考えた。米軍の作戦が上手く行かずに長引き、死傷者が多くなれば、米国世論が戦争中止を求めるかもしれないと期待し、日本の終戦交渉にも有利に働くと計算して。好きな国アメリカ、友人のいる国アメリカを相手に。


 栗林氏はまた、公平無私であり、部下と共にあろうとした人だった。

 本来なら、より安全で快適な父島で指揮を執ることが当然(栗林氏以前の小笠原兵団指揮官は事実そうだった)なのに、それを良しとしなかった。兵を救いのない戦場に送る以上、自分がそこにいなければならないと考えたのだ。

 食事の内容や、水の使用量、寝る場所など、自分を含む幹部の特別扱いも止めさせた。貴重な生野菜(硫黄島にはない)が届いたときには、自分は食べずに、できるだけ細かく刻んで多くの将兵に配ったともいう。

 そんな指揮官だったからこそ、多くの将兵が高い士気を保ち続けたまま、彼についていったのだ。


 米軍の計画では5日で制圧されるはずだった硫黄島は、陥落まで36日間抵抗し続け、太平洋戦争において唯一米軍の死傷者数が日本軍のそれを上回る戦場となり、栗林氏は米軍から最も賞賛される軍人となった。ちなみに、硫黄島の戦端が開いたとき、色々な事情で地下要塞は70%程度しか完成しておらず、もし100%完成していたら、さらに米軍は苦戦しただろうという。

 こんな軍人ばかりなら、太平洋戦争に勝てたかも・・・というのは幻想で、栗林氏が感じていた通り、国力に差があり過ぎた。どう転んでも勝てる戦じゃなかったのだ。


 そして、何よりも栗林氏は優秀な軍人である以上に、良き夫であり、良き父であった。硫黄島から妻や子供に宛てた手紙は、どれも細やかな愛情や優しさ、温かいユーモアに溢れている。

 ・・・それが悲しい。

 硫黄島で戦った20,000人以上のうち、栗林氏以下13,000人の遺骨が、かの地にまだ眠っている。

 合掌。


 宜しければ、もうひとつのブログ「健康への長い道」Cinema Review『硫黄島からの手紙』もどうぞ。


 次は『ダウン・ツ・ヘヴン』(森博嗣・著/中公文庫)。
posted by ふくちゃん at 00:19| Comment(0) | TrackBack(3) | ノンフィクション

2006年12月14日

カラマーゾフの兄弟2


カラマーゾフの兄弟 2
著者名:ドストエフスキー(著)
     亀山郁夫(訳)
出版社:光文社
出版年:2006.11
ISBN :4334751172


 やっと読み終わった。

 僕の主な読書タイムは、通勤とか遠出(というほどでもないが)の時の電車の中である(あとは風呂とトイレ)。

 でも、慢性睡眠不足なので、面白くない本を読んでるとすぐに眠たくなってしまう。

 『カラ兄2』もそのようにしてなかなかページが進まなかった。

 ところが!

 ちょうどこの巻の真ん中にあたる、第5編の5「大審問官」から俄然面白く、約250ページを12日・13日の2日で読了。前半250ページは6日かかったのに・・・。

 この巻の後半は、宗教(キリスト教)に関する本質的な論議が熱く語られる。一方は、敬虔な主人公アリョーシャの兄イワンによる神の存在の否定として、もう一方はアリョーシャが敬愛して止まない修道院の長老ゾシマによる神の存在の肯定として。

 宗教の本質に関する論議は、哲学的な論議でもあるが、これが面白かった。

 ちなみに、僕は無神論者に極めて近く、宗教も宗教団体も、オカルトもスピリチュアルも信じていないのだが、そういうことに関係なく、興味深く読めた。

 ようやくこのシリーズを読んで良かった、次が待ち遠しいと思えてきた。

 次は先日観た映画『硫黄島からの手紙』の流れで、『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(梯久美子・著/新潮社)を読む。珍しくハードカバーで。
posted by ふくちゃん at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 古典的名作

2006年12月05日

ねこのばば


ねこのばば
著者名:畠中恵(著)
出版社:新潮社
出版年:2006.11
ISBN :4101461236


 人気の「しゃばけ」シリーズ、文庫化第3弾。今回も楽しく読んだ。

 読んだことのない方のために一言で形容すると、「物の怪(もののけ)江戸ものファンタジー」「江戸の若だんな・妖(あやかし)捕物帖」。

 ・・・何のことやら。しかも二言だ。

 じゃ、手抜きだけど、本文からの引用で、も少し説明してみる。

 江戸一繁華な通町にある長崎屋は、江戸十組の株を持つ大店で、廻船問屋兼薬種問屋だ。若だんな一太郎は、年があければ十八になる、大事な跡取り息子であった。

 ・・・気は優しく、頭の方もなかなか聡明である。

 甘い奉公人と、甘い甘い兄やたちと、更に甘甘甘の両親という、売り物の砂糖を全部集めたよりも極甘な者達に、若だんなはずっと守られ生きてきた。産まれてこの方、朝と昼と晩に、器用にも別の病で死にかけるほど、ひ弱だったからだ。

 ・・・今でも、1年の多く、1日の多くを専用の離れ(しかも布団の中だったりする)で、「兄や」こと手代(従業員の中のエライさん。番頭の次)の佐助と仁吉に世話をされながら暮らしている。

 大きな声では言えないことだが、長崎屋には妖が沢山入り込んでいた。若だんなの祖母ぎんは、皮衣という大妖(たいよう)の名を持つ者であったからだ。兄やである二人の手代も実は、犬神(いぬがみ)、白沢(はくたく)という妖だ。祖父母が体の弱い若だんなのために、長崎屋に送り込んでくれたものどもだった。

 ・・・祖母の血を受け継いだ一太郎には、常人の目には見えぬ妖が見える。親にはこの能力は無いから、隔世遺伝だ。

 そして、この能力と優れた頭脳を活かし、「何よりも若だんなの健康と命が最優先」という原則の下にしか行動しない犬神=佐助と白沢=仁吉(若だんな大事のあまり、若だんな本人にもやたら厳しいのが笑える)、そして離れに住むその他の妖や町で出会った妖達とも協力して、様々な事件を推理・解決するのが、当「しゃばけ」シリーズ。

 ライト・ミステリ、人情捕物帖、ファンタジー、情緒ある江戸モノなど、多面的な魅力を持つ作品であり、楽しく読めるのだが、時になかなか重いテーマを突きつけたりしてくるところも良い。

 しかし、妖怪といえば『ゲゲゲの鬼太郎』と『妖怪人間ベム』を思い出す。あの連中もいいヤツ等だった。ベム、ベラ、ベロを遠ざけようとする人間の大人の方が、よっぽど嫌らしく怖かったもんな。それにしても「妖怪人間ベム」のニューバージョンは、絵がキレイでポップ過ぎる。あのドロドロジメジメした暗〜い感じがなくて、ツマラナイぞ。

 あ〜、あと「うしおととら」も面白かったな。

 ・・・何の話だ。

 さて、お次は『カラ兄2』(光文社古典新訳文庫)!
posted by ふくちゃん at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ファンタジー・幻想文学

2006年12月03日

グレート・ギャツビー


グレート・ギャツビー
著者名:スコット・フィッツジェラルド(著)
     村上春樹(訳)
出版社:中央公論新社
出版年:2006.11
ISBN :4124035047


 『グレート・ギャツビー』や「フィッツジェラルド」で検索したがヒットせず、結局ISBNコードで引っ張ってきた。時々こういうことがある。「ほんつな」さんにも頑張ってもらいたいものである。

 さて、『グレート・ギャツビー』といえば、かの「野崎孝」版を昔読んだ。今でもその文庫本(新潮文庫)を持っている。

 奥付は「平成4年5月25日第48刷」。25歳の頃に読んだわけだ。ちなみに初版は「昭和49年6月30日」とある。

 今回、村上春樹版を読むにあたって、時々参照して見たのだが、現代的見地からすると(言葉かたいなぁ・・・)、使われている日本語が古くて、珍妙な感じがした。

 村上氏が言う通り翻訳には賞味期限があり、「不朽の名作はあっても不朽の名訳はない」のかも。

 この本のあとがきによると、村上氏の人生にとって最も重要な本は『グレート・ギャツビー』、『カラマーゾフの兄弟』、『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー)だそうだが、その中でも1冊だけを選べと言われたら、『グレート・ギャツビー』を取るとのこと。

 このように村上氏をしてベスト1と言わしめ、世界的にも評価の高い作品であるが、少々退屈したというところが正直なところ。

 原文は非常に難解かつ多義的で、日本語でそのニュアンスを完全に再現するのは難しいということなので、そういうことも影響しているかも知れない(日本語の「カワイイ」は今や海外でもそのまま通じるようだが、これなども英語のprettyやcuteなどでは十全に意味を捉えられないから、「カワイイ」のまま使われていて、それと同じようなものか?←適当な思いつき、学術的根拠ゼロ)。

 しかし、詳しくは書けないが(ネタバレになるので)、終盤の第8章(全9章構成だ)は不思議なことに俄然切なくて物哀しい気持ちになり、その感情を味わっただけでも読む価値があると思った。

 1人の男の儚い夢の物語である。


 光文社古典新訳文庫からも『グレート・ギャツビー』が刊行されたが、多分、村上版の煽りで売れないだろうな・・・。お気の毒・・・。


 現在の僕は『ねこのばば』(畠中恵・著/新潮文庫)を読破中。


 ところで、村上春樹訳『ロング・グッドバイ』(長いお別れ)が刊行される予定もあるらしい。ハードボイルドの古典的名作と村上春樹の組み合わせは、今からとても楽しみだ。
posted by ふくちゃん at 00:05| Comment(2) | TrackBack(1) | 古典的名作